皆さま、こんにちは。
気圧の変化で少し寝苦しい夜が続いてますが、お元気でいらっしゃいますでしょうか?
地震などもあり、本当に身体に負担がかかりますね。
休むところは休まれて、どうぞくれぐれもご自愛下さいね。
今日は僕の郷土の光である田中正造氏についてお話させて頂きたいなと思ってます。
トップの画像は先日6/23の雷電神社「夏越の大祓」の帰りに立ち寄った、栃木市藤岡町にある田中正造氏の墓所である田中霊祠です。
こちら初めて寄らせて頂いたのですが、画像からも伝わる通り何やら深遠な霊気に満ち満ちていました。
一言で言うと、いるな、という感じ。

この田中正造さんという方は栃木県佐野市で名主の家の子として生を受け、国会議員などを歴任します。
ここまで聞いた限りだと何不自由なく生活した方かと思いきや、明治初期におそらく日本史上初めての公害である足尾銅山鉱毒事件に真っ向から立ち向かった方なんです。
足尾銅山鉱毒事件とは、当時殖産興業、富国強兵というスローガンのもとでとにかく近代工業化を図ろうとした明治政府の方針の下、環境や人々の健康などに全く配慮せずに足尾銅山の銅資源を掘削し鉱毒をそのまま渡良瀬川に廃棄した結果、流域の農産物や住民の健康に甚大な被害をもたらしたという事件なんですね。
この事態に当時の国会議員であった田中正造はとにかく農民のために奔走し、その窮状を知ってもらおうと時の明治天皇に直訴まで試みます。
この後、足尾銅山は閉山に追い込まれ、栃木県谷中村があったところに鉱毒の沈静化を図るために大規模な遊水池が作られます。
結果として谷中村は廃村になり、住民は北海道に移住させられるのですが、農民運動の拠点でもあり強制移住に反対して最後まで谷中村に立て籠もったのも田中正造でした。
この遊水池は渡良瀬遊水池として今も広大な敷地を望むことができ、谷中村の跡も明治期の自然のままに残っています。

ちなみに三國連太郎さんは田中正造氏を演じた映画「襤褸の旗」の中で、谷中村を打ち壊しに来た役人達にその谷中村の土を食うというアドリブを交えた迫真の演技で農民達の生きる権利を涙ながらに訴えました。
人々が健康にそして幸せに生きる権利は、いつの時代も決して侵されてはならない。
三國連太郎さんも戦後の日本を語るストーリーテラーであり、また平和を訴える素晴らしいメッセンジャーでもありましたね。
6/23に群馬板倉の雷電神社にて夏の良き循環を祈願する「夏越の大祓」での奉納演奏の後で、僕は田中正造氏の墓所に迎えられるべくして迎えられたな、という気がしました。
憚りなく言わせて頂くと、いだかれた、というか。
そこで得たメッセージは、清らかな流れを汚すな、ということ、そして過ちを繰り返すな、という田中正造氏の思いでした。
この大いなる自然の循環の中で我々人間は生かされていて、そのサイクルを滞らせてはいけない、感謝しながらその循環の一部としてバトンを渡していかなければいけない。
そういう氏の想いを感じ取りました。
まさに龍神が使わしたであろう「ドラゴンの使い」である田中正造氏のメッセージを、次世代に行動として伝えていくのは今を生きる僕たちに他ならないな、と。
どうやって形にしていくか、また皆さんと一緒に考えていければと思っております。
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