皆さま、こんにちは。
朝晩冷え込みながらも穏やかな気候が続いてますが、いかがお過ごしでしょうか?
どうぞ毎日深呼吸を忘れずにリラックスしてお過ごしくださいね。
さて、僕の方は先週土曜日11/23に沖縄久高島にてヤポネシア音楽祭を開催させて頂いてきました。
コロナ前よりほぼ10年近くかけて計画をかさねてきたこのヤポネシア音楽祭。
コロナでしばらく延期になってはいたもののおかげさまで様々な方々のご協力を頂きながら満を持して今年の開催が決まりました。
ところが、です。
木曜日11/21に那覇に飛行機で着いた瞬間に久高島の区長さんより「季節風である強い北風の影響で明日明後日(11/22、11/23)久高への船が欠航する可能性が高い」という連絡を頂きました。
聞いた瞬間に少しクラクラしてしまったのですが、すぐに頭を切り替えました。
おそらく僕の中でまだ音楽祭に向けて準備が足りていない、それをしっかり完了させる必要があるな、と。
まずはお世話になった方々へ先延ばしにしていたお礼と、感謝の連絡をしました。
そして。
那覇の方に勧められていた牧志御嶽(うたき)へ祈願のお祈りをさせていただきました。
そのうえで今回のメインゲストである喜納昌吉さんと打ち合わせ。
「君はなぜ久高でやろうと思ったの?」
この昌吉さんの素朴でシンプルな問いに今回のすべてが凝縮されていました。
大学時代に沖縄基地問題を卒論のテーマに選んだこと。
そのあと沖縄と環太平洋の祭祀を研究するべく大学院に進学したこと。
二十代で西アフリカを旅した後に久高島を訪れ2002年に十五夜祭りで奉納演奏をさせて頂いたこと。
海からアジアの和を広げたいというメッセージを大好きな久高島から発信したいということ。
僕の思いをすべて伝えて、昌吉さんと久高の祭祀や沖縄の文化、そして日本の未来について話を深めることができました。
その夜から明らかに風向きが変わってくるのが分かりました。
そしてなんと。
明けて11/22金曜の朝、昨日あれだけ吹き荒れていた北風がほぼ止んでいたんですね。
ほっとすると同時に感謝の気持ちが奥底から湧いてくるのを感じながら、久高に入り準備をスタートさせて頂きました。
会場である宿泊交流館に着きまずは館内で振興会の皆さまと打ち合わせをさせて頂いてから、音響設備と舞台の設営をと思い外に出たその瞬間。
島の男衆の皆さまが会場の舞台を大勢でデッキブラシで磨いている光景が目に入ったんですね。
あまりの嬉しさに目が潤みました。
島の皆さまと交流を重ねてから22年、やっと皆さんと一つの行事を共有できるようになっている。
感謝の気持ちでいっぱいになり、やっぱり心が震えましたね。
当日は、僕SUGEEと伊舎堂百花さん、島の若者である内間仙くんを中心にしたフボーリーズ、振興会理事長でもある西銘武吉さん、そして喜納昌吉さんという出演者でした。
皆さん本当に素晴らしかったのですが、やはり喜納昌吉さんのステージは圧巻でした。
二曲目の沖縄民謡で涙が止まらなくなり、理事長の西銘武吉さんのお誘いにのらせて頂きステージ前で踊らせて頂きました。
そしてそして。
ラストはなんと喜納昌吉さんの「ハイサイおじさん」にジェンベでコラボ参加させて頂きました。
喜納さんのエナジーとブルースマンのように粘る三線のグルーヴを間近で感じることができたのは一生のタカラになると思います。
その躍動感と腰の据わった図太い音で周りの全てをのせていくステージングはやはり喜納さん以外にはできない。
そして、その場にいる人々、植物たち、風、空間全てが調和し喜びを感じている。
これこそ祭りだと思いました。
本編の祭りが終了したあとは島の皆さんと喜納昌吉さんを囲んで打ち上げをかねた交流会。
知恵のある久高島の皆さんに島の文化や祭祀の話をシェアしていただき、参加者そろってとても有意義な時間を過ごさせて頂きました。
翌朝は宿泊参加者みんなで島の東海岸を清掃させて頂き感謝の気持ちをささげて解散。
久高島の皆さまには貴重な体験をさせて頂き、心から感謝申し上げます。
久高島の皆さま、共演して下さった喜納昌吉さんを始め伊舎堂百花さん、フボーリーズの皆さま、そして日本全国から参加してくださった皆皆さま、本当にありがとうございました。
久高島ヤポネシア音楽祭、今後も力の続く限りつづけていきたいと思いますので、皆さまどうぞお楽しみにしていて下さい。
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