皆さま、こんにちは。
このところずっと暖かいお天気が続いてますがいかがお過ごしでしょうか。
朝晩と日中の気温差が身体にかなり負担になることもありますので、どうぞ無理なくお過ごしくださいね。
さて僕の方は来年のアルバムリリースに向けて新しい曲の制作に入っております。
今年は僕はこのコロナ禍という状況もあり、楽曲制作にじっくりと向き合うことができました。
ライブがなかなかできないという状況は、表現者としてやっぱりかなりしんどい時間ではあったのですが、その分自分自身としっかり向き合いましたね。
僕も含めて人間は苦しいことからはなるべく遠ざかりたいと思うもので、そういう意味では否が応でも自分と向き合わざるをえなかったこの時間は貴重だったなと思います。
毎日ランニングと筋力トレーニングをした後に午前中は植物の世話をして、夕方からスタジオに入りリズムと歌のトレーニング。
このルーティンワークが固定され、その中で自分自身の弱さや足らないものを突きつけられた一年でもありました。
見えてきたのは集中力の欠如。
普段から気を紛らわせることなく、いかに感じているものをクリアーに伝える「媒介」としての自分自身にフォーカスできるか。
そこを磨くことなしには来年以降が見えてこないな、と。
そんな中で先日久しぶりに25mプールで思い切り100mを泳ぐという機会があったのですが、泳ぎ切った瞬間から忘れかけていた懐かしく暖かいイメージがあるメロディと共に自分自身の中に蘇ってきました。
それは間違いなく僕が6歳の時に他界した祖母のイメージだったんですね。

沖縄の久高島など特にそうなのですが、シャーマニズムはまず自分自身のルーツである祖霊にアクセスするところからすべてが始まります。
久高島の祭祀を司る神人(カミンチュ)のイニシエーションであった「イザイホー」はカミンチュとしての認証を受ける成人女性が祖母の霊力を受け継ぐというお祭りでした。
僕が6歳の時に他界した父方の祖母はもちろん深い会話を交わしたことはないのですが、その暖かなぬくもりや僕が泊まりに行くと寝かしつけながら歌ってくれたその声までその瞬間にはっきり蘇ってきたんですね。
そういう意味ではこのイメージはコロナ禍の状況の中で、遠くに遠くにではなく自分自身のすぐ近くの足元やルーツにフォーカスできたご褒美だったんじゃないかと、そんな風に思えてます。
浮かび上がってきたメロディに早速歌詞をつけてみました。
こんな歌詞です。
赤く光る夕闇が 君との別れを告げる
私のことなど忘れて良い 温もりに抱かれよ
お前の光こそ全て
月が君の空に落ちる 青く光る祈りよ
どうか君の空が果てるまで 闇夜の全て照らせ
青く光るその髪にまた触れる日が来るだろう
私のことなど忘れて良い 幸せに抱かれよ
波風穏やかに進め
月が君の空に落ちる 時を超える想いよ
どうか君の空が果てるまで 闇夜の全てを包め
「月の子守唄」と名付けました。
こちらもどうぞお楽しみにしていてください。
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