皆さま、こんにちは。
本日は立春。
大寒波も去り少しづつ日も高くなり、冷たい風の奥にやっと少しづつ春の香りが感じられるようになってきましたね。
皆さまもどうか毎日深呼吸を忘れずにリッラクスしてお過ごしくださいね。
さて、今日は旧正月明けに見た夢があまりにも印象的だったのでシェアさせていただきたいと思います。
夢の中で僕は心から安心できるコミュニティの一員で、その中で日々の暮らしを営んでいくんですよね。
まるでこの現世のパラレルワールドの中にいるようなイメージです。
理想の仲間たちとある意味淡々とした生活の中で日々が滞りなく健やかに営まれていて、そして安心感に包まれながらじんわりとした幸せの中に生きているという感じでした。
ところがです。
そんなある日、僕は余命何日であるということを突然告げられるんですね。
それはもともと定まっていて抗うことが決してできない自然の摂理のようなもの。
僕は仲間との辛い別れに寂しさを感じながらも、当然のこととして素直にそれを受け入れるんです。
あまりにも自然な流れ、つまり循環の一部=定めとして。
そして仲間との最後の別れの瞬間。
ふと気づくと隣にいるのは亡くなった祖父、そして曽祖父なんですよね。
それに気付き別れが辛い、という気持ちを伝えた瞬間僕は夢から覚めるんです。
目が覚めた瞬間は複雑な気持ちだったんですが、なぜか奥底でじんわりと幸福感に包まれていました。
つまり僕は夢の中でおそらく祖父、曽祖父たちがいるあちらの世界から癒しをいただいて、またこちらの現世に戻ってきたのだと分かりました。
そしてこのビジョンはつまり、僕ら日本人の死生観そのものだったと悟りました。
僕らは肉体がなくなればもちろんあの世へと旅立つ。
そして生まれる瞬間はあちらの世界からこの世へとやってくる。
生と死とは常に分け隔てることのできない、一対のもの。
二つで一つと言って良いかもしれません。
僕たちは肉体がありながらもおそらく常に永遠の時空の中を生きていて、そこからいつでも癒しやメッセージを引き出すことができるんですよね。
そしてこの一代限りの肉体を謳歌しながらも、次世代へと脈々と受け継がれていくLIFE=命の循環に美しさと喜びを感じる。
そういう存在なんだということを改めて実感させられました。
永遠の中にいるという自由と、限りのあるこの地球という美しい惑星に生かされているという喜び。
それを同時に感じることができた2023の始まりは、僕にとってメモリアルなものとなりました。
今年もまたいろいろなところで生命を祝う祝祭を巻き起こしていきたいと思ってます。
またどこかで会える日を心待ちにしております。
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