皆さま、こんにちは。
台風一過の澄み切った青空ですが、大丈夫でしたでしょうか?
僕の方はサボテン温室の上貼りが少し吹っ飛んだだけですみましたが。
風はやんできてますが、気温も上がり気圧も低から高へ。
こういう時こそ身体に負担がかかりますので、くれぐれも無理しないで下さいね。
さて、僕の方は明後日から台湾にいってきます。
台北の東にあるイーランにて開催される宜蘭国際フィルムフェスティバルにて演奏をさせて頂きます。
おかげさまで、やっと来年あたりからアジアへと視野を広げられそうな予感がしてきました。
「久高オデッセイ」の大重潤一郎監督が僕に託したのは間違いなく海洋アジアの友好だったのですが、少しずつそちらの方向へと向かっていけそうかな、と感じてます。
2020年のヤポネシア音楽祭もその一環ですね。
そんなわけで、今日は僕が初めて海洋アジアの和を意識した出来事をお話したいなと思います。
かつてバンコクからカンボジア国境付近まで旅した僕は、チャーン島に立ち寄りました。
古くからの漁村の風景が残り、観光客向けのロッジが建ち始めたばかりの90年代後期、時代はまだ9.11以前です。
僕が宿をとったロッジには、フランス人、アメリカ人、アジア人など、肌の色も様々な人達が休暇を楽しんでいたんですね。
ある日、ロッジのある湾の中に一隻の帆船が停泊したんです。
宿のオーナーに尋ねると、彼らはカンボジアのイスラムの漁民団で、なんと一生を船の上で過ごすのだそうです。
浜から僅か200m、木造のその船体は潮風で赤茶け、風格さえ漂わせていました。
その夜。
漁を終えた彼らは、船の上でなんと火を焚いて酒盛りを始めたんですね。
暫くすると唄が聴こえてきました。
日本の舟歌やお囃子にも通じるその懐かしいメロディ。
僕は15分ほど聴いてましたが、自然に体が反応し、思わず浜辺から唄を返したんです。
そしたら、向こうも一瞬静かになって聴いてくれて、またこちらに唄を返してきたんですね。
しかも、僕のメロディを少し変形させた即興の唄を。
いつしか彼らと僕の唄の交換が始まりました。
漁り火が微かに揺れる暗い夜の海、姿の見えない異国の漁師達とのセッションは30分ほど続きました。
気がつくとビーチには犬や人が集まり、僕らの節回しはタイも日本も飛び越えた、無国籍なオリジナリティ溢れるものになっていたんです。
小一時間が経ち、一段落したと思った瞬間、一人が僕に”ローン!(タイ語で’唄え’の意)”と叫びました。
彼らは僕をおそらくタイ人だと思っていたんでしょうね。
そして、全てが終わった夜更け、耳を澄ますと、湾の突端から聴いたことのないほど美しい女性の歌声が風に乗って響いてきました。
その夜は、チャーン島全体が唄に包まれたんです。
海には陸の概念など通じない、大らかで自由な空間が広がります。
かつてタイのシャム王朝や、インドネシアのマジャパヒト王国などと盛んに交易を展開した琉球には、そこかしこに異文化が交流を重ねたアジールとも言うべき自由区が存在したといいます。
海は本来、自由区域かつ共有区、そして全ての生命に平等なはずです。
いつしかアジアの海を再びそんな雰囲気で包み込みたい。
2020年のヤポネシア音楽祭はそんなお祭りにしたいなと思ってます。
この記事へのコメントはありません。